なんとなく会社生活を送れることのしあわせと『ふしあわせ』

また休み取りまして、家でのんびりしています。先週も水曜日休みだったって?そうですけど、なにか!(笑)

外は風が結構強くふいてますね~。洗濯をして外に干そうと思ったのですが、この風では花粉も大量に付着しそうだし、洗濯物が飛んでいきそうだしということで、風呂場に干すことにしましたよん。

今日は1日主夫なので、午前中の家事が終わったところで一息ついてブログ更新ですわい。

昨日、久しぶりに今努めている会社を2年前に辞めた人と飲みました。その人との会話の中で、2年前と変わったことについて話をしていたのですが・・・結構変わっていないのです。その人からすれば、「なーんも変わんないね」という感じ。細かくは色々とやってはいるのですが、なにか変ったかといわれるとあんまり変わっていない。ルーティーンに毛の生えたことくらいしか結局やっていないってことなんだろうって感じ。

このなんとなくでも普通に生きれる感じって、結構すごいことなんじゃないかなと思うわけです。だって、今やヨーロッパの若者でさえ、失業に苦しんでいるのに、我々は、なにか特別なことをしなくても、ある程度お金が稼げて、生活ができてしまうのです。

再び、「これってすごくないですかね。」

でも、実は大きな問題なのではないでしょうか。

もちろん、「なにぜーたく言ってんだ!このすっとこどっこい!」という反論はよくわかります。明日の生活がある程度保証される世界で生きているってすごい幸せだと思います。

それでも、やっぱり、私は問題だと思うのです。

なぜなら、「なんとなくうまく回る」というのは、「問題を隠してしまったり、本質を見えなくさせてしまう」と思うからです。

なんとなくうまく回っているものに関して、なにか問題や本質を見つけた時って、結構なぁなぁで済ますこと多いと思うのです。

例えば、この契約の内容はなんとなくお客さんにとってベストなサービスじゃないけど、とりあえずお客さん満足しているし、まぁいっかみたいなこととか。

例えば、今の会社の方向性はなんとなく自分に合っていないけど、とりあえずお金はもらえるし、それで家族も養えるから、まぁいっかみたいなこととか。

(※書きながら思いますが、「とりあえず」という言葉は危険ですね。。)

最初の例は、最悪お客さんにそのサービス辞めたいと言われたときに、再度提案すれば間に合うかもしれないのでよいですが、次の例は、気づいたときには年取っていて、自分のやりたいことなんてもうできないかもしれないわけです。。

なんでこうなってしまうのか…。

それは、日本の会社システムというか構造にあるのだと思います。

なぜなら・・・

  • 歳をとるとある程度の地位について、お給料もそれなりにもらえるシステム
  • よっぽどのことがないと解雇されない
  • 上層部に権力が集中することで、下の社員は責任が軽く、社員が能動的に動きにくい。(上意下達?)

こういうシステムだと、ちょっと言いすぎかもしれないですが、会社に行き続けることさえできれば、なんとなくお給料もらえて、生きていけるということになります。そして色んなものが見えにくくなってしまうわけです。

じゃぁ、どうするか…。

これを解決するのは、実力主義というか、素直にその時の実力を評価されるってことなんだろうなと思うのです。自分が提供できる価値を素直に評価してもらう。

なんでこの素直な評価がいいかというと、素直な評価=その人の市場価値なので、素直に評価されることで、自分の市場価値を把握できるからです。

自分の市場価値さえ把握してれば、自分に向いている職業はわかるだろうし、所属している会社が自分に合わなくても次の職場を探しやすいだろうし、奥さんが旦那さんに過度な期待をしなくなるかもしれないし~。(私は、さほど期待されていないと思うので、大丈夫ですが・・・安心、安心。)

とにもかくにも、将来設計楽だよね。生きていきやすいような気がしまする。

社内でごますって昇進するなんて、自分の価値を見えなくさせるだけだから、これからは会社でやってはいけないことリストの上位になるんだろうね。(←自分ができないことだから、こんな風に言いたくなったりします(笑))

今はなんとなくいいから、先送りはまずいよ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする