イタリア旅行も4日目です。この日は、メインは移動でした。今回の旅行は、ローマから南部に移動し、南部を観光した後、北部に飛んでまたローマに向けて南下する行程で、4日目は南部から北部への移動日でした。
日本で考えてみると、東京から大阪、福岡をみて、北海道に移動するみたいな感じですかね。日本も10日くらいかけてゆっくり周ってみるのも面白いかもしれませんね。
アルベロベッロに到着
さて、話をイタリアへ戻しましょう~。この日は基本的に移動日だったのですが、観光も少しありました。前日に到着したアルベロベッロです。アルベロベッロの位置ですが、ブーツ型のイタリアの「かかと」部分にある都市です。私は、このアルベロベッロに関しては事前情報なく、あまり興味をもっていなかったのですが、訪れてよかった!と思える場所でしたよ!!お勧めです!
トゥルッリ
このアルベロベッロにあるのは、「トゥルッリ」という石造りの三角屋根の住居です。この「トゥルッリ」もユネスコ世界遺産です。イタリアは本当に世界遺産が多いですよね。
トゥルッリが並ぶ住宅街の景色
この可愛らしい屋根の住居ですが、この可愛らしさとは裏腹に、住民が圧政から自分達を守るために知恵を絞って作ったものだったようです。
トゥルッリがこの形になったのは深いわけがある。今のような町ができる前、人々は石だらけの痩せた土地で細々と暮していた。15世紀末、この町を支配していたナポリからジャンジローラモ2世(アクアヴィーバ伯爵)が送り込まれた。当時、ナポリ王は伯爵から家の数によって税金を取っていた。しかし、アクアヴィーバ伯爵は、税金をごまかすためにすぐに解体できる家作りを指示した。国の役人がやってきたときに屋根を壊して、これは家ではないと主張する為であった。農民たちはアクアヴィーバ伯爵の命令で何度も解体と建設を繰り返さなくてはならなかった。農民たちは家の形を必死に考え、ついにトゥルッリを作り上げた。 17世紀から続くアルベロベッロの守護聖人の祭りでは、1797年、長きにわたって人々を苦しめたアクアヴィーバ伯爵家の圧政は終わり、住民たちは自ら町を治める権利を勝ち取った喜びを分かち合い、苦しみを癒してきた。アルベロベッロは人々が苦難の末に築き上げた町だったのである。(Wikipediaから引用)
このトゥルッリの屋根は石を組み上げただけものとのことです。なので、Wikipediaに書かれている通りすぐに屋根を壊すことができたということのようです。それにしても上手く石を組み上げることができるものですよね。
トゥルッリが並ぶ住宅街の景色②
25平米でなんと3000万!
このトゥルッリですが、現在では別荘として使われていることが多いそうです。価格ですが、25平米でなんと3000万円もするようです。流石、ユネスコ世界遺産!といったとこでしょうか。
この街並みをみながら、アルベロベッロの市場のような場所に移動しました。そこの一部は、ガイドさんが言うにはアルベロベッロの銀座(日本の観光客用セールストークでしょうね。)と呼ばれているようで、お土産を色々購入できる場所があります。 そこには、葉に金や銀を縫ってアクセサリーにして販売しているショップがありました。珍しいもので、なかなか綺麗でしたよ。アルベロベッロならではのもののようでした。価格もそれほど高くなくお手ごろで、シルバーだと35ユーロくらいで購入することができます。
後から知ったのですが、この場所には、円をユーロに結構よいレートで両替してくれるショップがあるそうです。イタリアで旅行する場所の中では、今回行った中では最もいいレートだったと思います。アルベロベッロで両替される場合は探してみるのもいいかもしれません。
ワインバーの入口の上にはぶどうがなっています。オシャレです。
ナポリへ移動
アルベロベッロの観光が終わり、一路ナポリへバスで移動です。バスの移動中は、右に左にぶとう畑&オリーブ畑でした。(ほんと、それしかないのか!と思うくらいに一面ぶどう&オリーブでしたよ)加えて、少し驚いたのは、風力発電用の風車と太陽光発電用のパネルが結構沢山あったことですね。イタリアは、比較的自然エネルギーによる発電に向いている国なのかもしれません。今の日本からみると、うらやましいですよね。ナポリに到着です。この日のお昼はナポリでとることになっていました。この日は、イタリアに来て初のピザでした。日本で食べるピザは、例えば宅配ピザだと、1枚~2枚を何人かで分けて食べたりしますが、こちらのピザは1人1枚ですよ!ボリューム満点です。
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